レイキの創始者である臼井甕男(みかお)先生は十代の頃に郷里の岐阜県山県市谷合を離れて以来、一度も帰郷することがありませんでした。そのためか、地元の方たちは臼井先生のことを殆ど知りません。彼がこの地に存在したという唯一の証が、二人の弟達と一緒に天鷹神社に寄贈した石の大鳥居です。そこには三人の名前がハッキリと刻まれています。
Usui Mikao's contribution to the world as a founder of Reiki has not been known very much in his hometown, Taniai, since he left there as a teenager and did not come back home again.
One year after the foundation of Usui Reiki Ryoho, he donated a Torii gate to Amataka Shinto shrine in Taniai. His name and the names of his two brothers were inscribed on the gate.
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臼井卯左衛門(うざえもん)長男臼井甕男(みかお)、二男臼井粲哉(さんや)、三男臼井邦茲(くにじ)と刻まれています。
from right to left
The sons of Uzaemon Usui
First son: Mikao Usui
Second son: San'ya Usui
Third son: Kuniji Usui
これ以上撫でないでくださいね、臼井甕男の文字が薄くなってきています…
Please do not touch his name any more; it is becoming vague.
大正十二年四月に建てられました。当時のお金で1,000万円を超えていたそうです。
Built in April, 1923, one year after the foundation of Usui Reiki Ryoho Gakkai. It costed more than 10 million yen when converted today's money.
臼井先生が生まれたのは旧暦の6月です。生誕を祝って新暦の6月8日に元神主の方が祝詞をあげてくださいました。
相変わらず兄弟のようにソックリ
Doi sensei and former shinto priest of Amataka shrine; they look like brothers.
レイキ実践者がゾロゾロと訪れるようになるまで、谷合は殆ど人が通らない小さな集落。天鷹神社もご覧の通り、結構古びた風情です(失礼!)
石川県からふたりの現代レイキマスターと共に参拝しました。間に白山(はくさん)という高い山があるので、富山側からぐるりと大回りして南下。途中休憩をしながら三時間ほどの行程でした。
臼井先生の祖父がお酒を造るのに使ったという地元の名水、桂水。甕男(みかお)という名前はお酒を醸造する甕(かめ)からとったと言われています。
Usui's first name 甕 / kame means 'sake jar'. His grandfather was a sake brewer.
近くのグリーンプラザみやまに、各地のレイキマスターが集まりました。食事の手配等、地元の「谷合レイキ」の方たちにも大変お世話になりました。学ぶ系統は違っても、全てひとりの創始者から始まる流れです。それぞれの場所で、それぞれの役割を通じて、レイキを生かしていけばよい、そう思いました。
一緒にスペインへ行ったあきこさん、いくえさん、みほさんと一週間後に谷合で再会できました。帰りの車では、みほさんと石川県のちひろさんがインド系の話題で大盛り上がり。レイキの繋がりで出会う人とはその瞬間に友達になる…けど、それにしても後部座席で、大きな笑い声とともに謎の単語が炸裂していましたよ。
彼女たちとは岐阜駅で別れ、まさこさんと国宝犬山城を見て、ずーーーっとおしゃべりしながら帰りました。彼女は私がレイキを初めて伝えた頃から常に応援してくれています。長時間の運転本当にありがとうございました。これからもよろしくね~。
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